焼け行く飯田の街を一人見つめて

1947(昭和20)年4月20日は、飯田に生まれた人にとって忘れ難い飯田の大火である。全市中心部を焼き尽くしたと言って良く、
全市約6500世帯の62%に当たる4010世帯を焼き尽くした。損害額は、当時の金額で15億円と言われた。死者は1名であった。
小学校六年になったばかりの私は、祖父母の別荘で宮ノ上の高台にあった窓から一人で焼け行く街を見つめ、飛び火により次々と
全市に燃え広がる様を見守った記録である。
伊那史学会発行の「伊那」の飯田大火60周年特集号 平成19年3月号からの転載です。

 

この二階屋が一人焼け行く飯田を見つめた家です。当時の住所は宮ノ上4825番地の高台に当たり、左の白く見える窓からは、桜町の方面を除き、ほぼ飯田全市が見渡せました。
 この写真は、昭和6年に竣工直後のもので、
現在は、中央高速道の
下に入ってありません。 

了